高野山町石道を歩く-その1

 所用で京都へ赴いたついでに、ゴージローは高野山町石道を歩いた。この道は、金剛峯寺へ向かう道として真言宗の祖・空海が切り開いた参拝道。鎌倉時代には、北条氏に仕えていた安達泰盛らの尽力で整備され、現在でもその姿は大きく変わってはいないという。この参拝道や熊野古道などを合わせて、「紀伊山地霊場と参拝道」として世界遺産にも登録されている。九度山駅からほど近い慈尊院から始まり、金剛峯寺へと連なる約20kmにも及ぶ道の沿道には、1町(=約109m)毎に180の町石が建てられており、参拝者はそれら一つ一つの町石に礼拝をしながら頂上を目指す。

 受験科目として日本史を選択していたゴージローであったが、「高野山」と聞いても「金剛峯寺があるところ」、「真言宗の祖・空海にまつわる場所」といった程度の知識しか持ち合わせていなかった。この参拝道がいかに神聖なものであるかを知らず、どのような歴史的価値があるかも知らぬままに、ただハイキングをしたい、といういかにも軽薄な気持ちで赴くことにしたのである。恥を忍んで言ってしまうが、そもそもゴージローは、愚かにも高野山町石道すなわち熊野古道の一つであると思い込んでいた。いま自分が歩いているのは熊野古道なのだ、と信じて歩みを進めていたその場所が、実のところ熊野古道とは別物であると気付いたのは、90町石、つまり参拝道の中間地点を過ぎて休憩をしていた時のいいようことであった。いつもであれば自分の阿呆さを憂えて絶望的な気分になっていたところであるが、ゴージローを取り巻く木々が発する(とされる)マイナスイオンの手助けもあり「ま、こんなこともあるさ。」と、らしくもなく前向きに受け止めることにした。

 はじめこそ、標高が上がっていくにつれて移り変わっていく景色や、町一体を見下ろす展望台からの眺望を愉しみながら歩いたが、森林部に入ってしまうと、そこにあるのは一本道、そして周りに聳え立つ木、到着地点までの距離を伝える石造の卒塔婆だけ。伴侶がいなかったこと、想定を遥かに超える道中の過酷さ、飴玉3粒では防ぐことができない空腹感、さらには睡眠不足が拍車をかけ、ゴージローは言いようのない虚無感に襲われた。「この神聖な道を歩いて心を浄化しよう。」という当初の目的は失われ、ただひたすらに前へ、前へと進む。黙々とうつむき加減であるいていたゴージローであったが、なにやら動物の鳴き声のような、木をつつくような音が聞こえてくる。ふと見上げて音のする方を探してみると、そこにいたのは一羽のキツツキであった。その名が示す通り、一心不乱に嘴で木をつついている。この広大な森の中に一羽だけで暮らしているのだろうか、あんなに木をつついて頭が痛くならないのだろうか、などと考えながら、別れを告げて先へ向かった。