黒ラーメンに染められて

 我が青春と共にあったところのラーメン屋、富山ラーメン熊田が移転するとの報を受け、学友と連れ立って赴いた。店に入ると、裏方の座敷から「いらっしゃいませ~」という聞き慣れたハイトンーン・ヴォイスが響く。香ばしいスープの匂いを愉しみながら券売機の前に立った。硬貨投入口から500円玉を入れても決してそれを呑み込もうとはせず、絶えず吐き出し続けた旧型券売機の姿はもはやそこには見られない。500円玉を悠々と呑み下す新型券売機が聳え立っていた。

 「学割ラーメン」の文字の下には手書きで”500円”と書かれたスティッカーが貼られている。ラーメンに加え、サーヴィスで提供される混ぜご飯を400円で食すことができた時代が思い出される。私はあの味がない混ぜご飯が好きだったのだが、増税のあおりを受け、混ぜご飯は白米に取って代わられた。といっても、私は熊田で白米を食べる機会には恵まれなかった。白米の無料提供は、ごく短い期間に限られていたからだ。

 白米の提供が終わった矢先、学割ラーメンの価格は450円に、そして終いには500円まで跳ね上がった。旧き良き時代が走馬灯のように私の記憶を駆け巡り、郷愁の念にも似た思いに襲われながら、「学割ラーメン500円」のボタンを押す。食券が吐き出され、くまだまさし似の店主に渡した。ハイトーン・ヴォイスと温厚そうな相貌に似合わず、飲食物の持ち込みは断固として認めぬ強い意志を持った、件の店長である。その強い意志でもって、道路拡張工事に反対することはできなかったのだろうか。店舗を移した先で、この高度資本主義社会で生き長らえることはできるのだろうか。疑問は絶えない。

 だがそんな私の暗い疑念を、さらなる暗さで黒々と覆い、ゴクリと呑み下してくれたのは、店主が運んできた例の黒ラーメンだったのだ。黒脂を吸い込んで黒くなったチアシウ、黒脂に染められ、もはや自分がどのような色彩であったかを忘れてしまった長ネギ、黒脂に染められまいと、その透明さを保つために激しい闘争を繰り広げるもやし、黒脂と美しいコントラストを成すラーメン、そしてそれら全てを子宮の羊水のように温かく包み込むスープ・・・これにも当然、黒脂が不気味に漂っている。追い打ちをかけるように鼻孔を刺激し、食欲をそそる黒脂の香り。その艶かしさに私は心を打たれた。

 これを食してしまっていいのだろうか。いや、食さぬわけにはいかない。まずはスープからだ。真っ黒になってしまったレンゲを口元に運び、ダイソン社も顔を青冷めるほどの吸引力で一気に吸い込む。私の食道が真っ黒に染められていくのをひしひしと感じる。あまりの美味さに、レンゲの動きを止めることができない。私の左手は、いまや椀と口元とを止め処なく往き来する出来の悪い機械になってしまったかのようである。さあ、富山ラーメンよ、私を真っ黒に染めてくれ。もはや純潔は捨てたのだ。