高野山町石道を歩く-その2

 森林部を抜けると、車通りのおおい国道に行き当たった。そのすぐそばにある、やきもちが名物の茶屋は、ゴール地点である高野山の総門・大門までの6km程の道程へ足を踏み入れる前の最後の休憩場所となっていた。ついに食べ物を口にできる。道中には食事処も出店もなかったために、飴玉3粒でどうにか空腹を耐え忍んできたのは、まさにここでやきもちを食べるためだったのかもしれない。ゴージローは歓喜し、いそいそと道路を横断して茶屋の扉に手をかけようとした。しかし、扉にはなんと「準備中」の三文字。扉の把手に手をかけようとしていたゴージローの右手は、わずか数十センチ先に目標の把手をとらえていながら、だらりと地面と垂直に垂れる羽目になった。

 これほどまでに運がないのは、むしろ誇るべきことかもしれない。ゴージローは、だったらなにも食べずに山頂まで登りきってやろう、と固く心に決め、近くの自動販売機で水を買い、しばし休憩してから出発することにした。付言しておくと、その自動販売機には飲料水に加え、ご親切にもカロリーメイトなどの栄養調整食品も陳列されていた。そんなものには目もくれず、というわけにはいかなかったゴージローだが、頂上に向け、その場を後にした。

 空腹のまま再び歩き始めたゴージローの目の前には、急な上り坂が待ち受けていた。既に15km以上歩き、足腰に疲労を抱えた状態でこの坂を登っていくのは非常に骨が折れた。ゴージローは考えることをやめ、ずんずんと前へ進む。途中、弘法大師が袈裟を掛けたとされる岩や、鏡石と呼ばれる表面がすべすべの石を見かけたりもしたが、疲労のあまりもはやなんの感慨もなかった。周囲の景色を楽しむ余裕もなく、むしろ樹海に閉じ込められてしまったかのように感じたりもしていた。しかしそれでも、足を止めてしまえば再び歩くことすらかなわなくなりそうな気がして、必死に歩いた。ここは参拝道であるだけでなく、修行道でもあることが身をもって感じられたと言えよう。

 茶屋での休憩から約2時間、他の参拝客とすれ違うこともほとんどないまま歩き続け、ようやく大門にたどり着いた。ゴージローは目頭が熱くなるのを感じたが、それが目の前にどっしりと聳え立つ大門の壮大さに心動かされてのことなのか、20kmを歩き切ったことに満足してのことなのかはわからなかった。(おそらく後者であろう。)山頂付近の空気は澄み、葉は秋らしく紅く染まっていた。

 ゴージローは夕日が沈みゆくのを横目に山内を散策。ふと目に飛び込んできた和菓子屋に入り、肉を喰らう猛獣の如く饅頭を喰らった。実に9時間ぶりの食事である。餡子の甘みが口の中に広がるのを感じながら、金剛峯寺へ参拝。旅の目的を一通り果たした形だ。

 下調べをろくにせず、熊野古道を歩くはずが高野山道を歩き、180町という過酷な参拝道になめてかかり、疲労困憊になった。さらには運の悪さも相俟って、9時間もの空腹を強いられたが、饅頭だけは美味しかった。阿呆ここに極まれり。